kunimi096◆日吉社(大熊毛)
【鎮座地】大分県国東市国見町大熊毛2058番地の2
【旧社格】村社
【御祭神】大山咋命
◇二霊社 祭神:二階堂右京之進の嫡男六丸とその母
嘉祥三年八月、江州滋賀郡坂本郷(大津市坂本)を収めていた「天野式部元正」の弟「天野兵之進正吉」という人が多くの人々と共に瀬戸内海を舟で鎮西に向かう途中、あらしにあい「海門之浜」に上陸した。 此地は山岳重々、居住するものはいなかったが、土地が良く肥えていたので開拓して住みついた。
(国見町郷土史研究会 『国見物語 第2集(1982)「大熊毛日吉社の由来」栗本敏信)
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熊毛に住みついた「天野兵之進正吉」を中心とした人々は、幾多の辛苦をへて永住を決意しそのためにもこの地に「産土の神」を祀るべく旧里坂本にかえり、つつしんで日吉大社の神霊を奉じて帰村して、海門浜に小さな神殿を構え氏神とし「日吉社」と称した。今日の大熊毛日吉社の起こりである。文徳天皇の仁寿三年(853)六月二十九日の出来事である。
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文安五年(1448)二霊社をまつる。祭神は二階堂右京之進の嫡男六丸とその母である。 鎌倉から筑後平定のため派遣された父を慕い、来浦にたどりついた六丸とその母は、ここで父の戦死を聞き、田原親宏の庇護のもと家老三斉はじめ一族郎党とともに土着して一応落ち着いた生活に入るが、のちに田原親宏から滅ぼされた悲劇の主である。 大熊毛と六丸母子のかかわりは、前述田原の追手を逃れて大熊毛浜の上の岩影に身を潜め、村人に在所を極秘にしてくれるよう懇願したにもかかわらず詮索が厳しく之を知らせた為六丸、三斉は大熊毛浜岩鼻弓引き石で母君は若君阪で悲惨な最後をとげたのである。
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現在熊毛の人々は、日吉山王宮を本社様、二霊社を若宮様と呼んでいる。
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元禄二年(1689)二月、邑の長栗本孫四郎諫常平素より往昔の興隆や今時の衰退を悲しみ村人と倶に資をすて功を積んで御神殿、拝殿、御正門を落成す。社主宮川兵部太夫白銀五十両を献じ神社をととのえる。
【関連サイト】 『大分縣社寺名勝圖録』(国立国会図書館)日吉神社境内全圖→ 『大分の石橋』大熊毛日吉神社参道橋→ 『大分の石橋〜道中で見たもの』大熊毛日吉神社青面金剛→ 『熊毛地区の文化財』日吉社灯籠→
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