霜凝神社

oita0057◆霜凝神社
【鎮座地】大分市下郡2768番地
【旧社格】村社
【御祭神】豊玉姫命・彦五瀬命
【大分市指定名木】ムクノキ(椋の木)詳細を見る→

【関連サイト】
『大分縣社寺名勝圖録』(国立国会図書館)村社霜凝彦神社境内之圖→
『おおいた神社探訪』霜凝神社→
『物見遊山記:神社探訪』霜凝神社→
【関連サイト】
『歴史とぶらり旅』(YouTube動画)霜凝神社 : 大分県大分市↓

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【関連サイト】
『天満宮巡拝』天神社(霜凝神社内)→

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『YOSSYのブログ』大分海軍航空隊神社(大分県大分市北下郡)↓
『大分海軍航空隊神社(大分県大分市北下郡)』
元々は昭和14年(1939年)に、大分海軍航空隊が開隊された時に航空隊正門の近くに航空隊の守護神として祀られていました。昭和20年に入り、空襲の戦火から守り抜…
【霜凝神社摂社「鵜戸神宮別宮」の御社の概略】
摂社、鵜戸神宮別宮としてこの境内地に、平成七年九月十三日に建立された御社は、昭和十四年に大分海軍航空隊が、津留校区に開隊した折りに奉安された御社である。第五航空艦隊「神風特別攻撃隊」攻撃の成功を祈願して、大分海軍航空隊神社として厚く崇拝された御社で、昭和二十年三月十八日の米軍機による空襲時には、戦災から守り抜かんと牧校区の山中の司令部前に、御遷座された経験を持つ御社である。
特別攻撃隊の若き隊員たちの尊い生命と引き換えに、今日の平和と繁栄がもたらされたことを永く後世の人々に継承すべく、また歴史の重みを改めてて認識して戴きたく、当神社の御祭神に最も縁の深い「鵜葺草葺不合尊」を、摂社の大神として御社に勧請申し上げ今日に至っている。
尚、昭和二十年八月十五日に終戦を迎えるに至ったが、同日の十六時三十分、第五航空艦隊司令長官・宇垣纏中将座乗の下、指揮官の第七〇一航空隊艦爆隊長・中都留達雄海軍大尉以下二十二名が、艦上爆撃機「彗星」に搭乗し出撃、沖縄周辺の海域に集結する米国艦隊に十九時二十四分・特別攻撃を敢行する当たり、最後の祈りを捧げたのがこの御社である。(境内由緒書)
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