若宮八幡社

kitsuki002◆若宮八幡社
【鎮座地】大分県杵築市宮司336番地
【旧社格】県社
【御祭神】大鷦鷯尊(おおさぎのみこと)・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)・宇礼姫(うれひめ)・久礼姫(くれひめ)
【年中行事】若宮楽(県指定無形民俗文化財)
【その他】[大分県指定天然記念物]杵築若宮八幡社の境内林
【公式サイト】https://kintakayama.com/

(境内由緒書より) 
○若宮八幡社由緒
◆御祭神:大鷦鷯命・菟道稚郎子・宇礼姫・久礼姫
 元来、この八坂郷は宇佐八幡宮の神領に属していました。平安時代前期には宇佐八幡宮から京都の石清水八幡宮が勧請されたことにより、石清水八幡宮の神領となりました。しかし、この地は京都から遠く、海路では暴風や海賊などの災いもしばしばで、御貢物の輸送もままなりませんでした。
 第五十九代宇多天皇第八皇子一品式部卿敦実親王は航路の平安愚無事と神領地の五穀豊穣を熱願され、自ら四尊像を白檀木に奉彫し、延喜十四年(914)八月に仁和寺にて開眼供養を行い石清水八幡宮の神殿に奉安しました。その後尊像は寛和元年(985)に第六十五代花山天皇の勅宣によって、豊後速見郡八坂郷へ従五位下紀兼貞朝臣と伝灯法師位安宗によって柏島(現在の錦江橋の上流・浜田社)に鎮座し祀られました。
 天喜五年(1057)三月に生地村岳、承安三年(1173)九月中村(現在の若八幡本社)、嘉暦元年(1326)十一月に現在地である金鷹山に遷座しました。近代以降は明治六年(1873)に郷社、大正十年(1921)に県社に列格されました。
 当社は四尊像を奉遷申し上げたもので、累代藩侯の氏神として尊崇篤かったことは申すまでもなく、杵築市民の鎮守様として、今なお壱千有余年の御神威そのままに御社殿の奥深く鎮座しておられます。
『杵築市誌(杵築市誌刊行会/1968)』より 
○若宮八幡社(宮司)
◆祭神:大鷦鷯命・菟道稚郎子・宇礼姫・久礼姫
◆境内社:◇和漢将軍社(源親重/瓦葺流造)◇八坂社(石祠)
【関連サイト】
『明治神社誌料』(国立国会図書館)若宮八幡社→
『大分縣地方史 No.3(1954.12)』若宮八幡社の御田植神事(入江英親)→
『杵築市歴史的風致維持向上計画』[城下の水利にみる歴史的風致]「若宮八幡社の祭事」→
『産土神名帳』若宮八幡社→
『神社探訪・狛犬見聞録』若宮八幡社→
【関連サイト】
『歴史とぶらり旅』(YouTube動画)若宮八幡社 ( 杵築 ) : 大分県杵築市↓

053 若宮八幡社 ( 杵築 ) : 大分県杵築市
『おおいた文化財ずかん(大分県教育庁文化課)』若宮楽↓

若宮楽 | おおいた文化財ずかん
Googleマップに写真の投稿があります。(大同吾郎さん他)

若宮八幡社 · 〒873-0004 大分県杵築市宮司336
★★★★☆ · 神社
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