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武多都社

kunimi013◆武多都社
【鎮座地】大分県国東市国見町竹田津3597番地
【旧社格】郷社
【御祭神】伊邪那岐命外5柱
【市指定天然記念物】 武多都社の境内林 詳細を見る→

(境内由緒書より)
武多都神社(旧社格 郷社)
◆祭神:伊弉諾尊・天照皇大神・正哉吾勝々速月天之忍穂耳命・天津日高彦穂能瓊々杵命・天津日高彦火々出見命・天津日高彦波瀲武鵜葺草葺不合命
◆由緒
人皇四十四代元正天皇の御宇、養老二年(718)紀州熊野神宮の御分霊を勧請し、竹田津村小川原、室の地に着御、神託に依りて、翌年鬼篭村上老子立石(元宮)の地に鎮座す。
神威高き為め、周防灘を航行する船舶は大前を通過するに当り、帆を一ヶ所三尺下げて進む時は無事に航行し得るが、若し敬意を表わすのを忘れて行き過ぎんとするや忽ち神怒にふれて転覆の難を蒙る、又、海上風浪の難に遭へる船舶は當社に祈請を願いすてば忽ち神助を蒙りて其の難を免れると、是の神異と参詣の不便とに依りて人皇第六十二代村上天皇の御宇、天徳三年(959)峯つづきの現在地に遷座し奉る、始め熊野神宮の分霊にましますを以て熊野神社と称え奉る。
中古祭神を六柱の大神と宣ひ定め、六所大権現と称へ奉る、後年権現号を解き、現在の武多都社と改称し奉る、武多都は武士の多く寄り来る良き港の事で(港のことを津という)後に竹田津と地名を変える
武多都社は武士の崇敬厚く国東浦辺の総鎮守の守護神で、武士軍法の研究地なりと言う明治の初め郷社に列せられる。
【関連サイト】
『明治神社誌料』(国立国会図書館)武多都社→
『神社探訪・狛犬見聞録』武多都(たけたず)社→
『産土神名帳』武多都社→
【関連サイト】
『天満宮巡拝』天満社(武田都社境内・国東市)↓

1414天満社(武田都社境内・国東市)
【祭神】菅原道真 と思われる【由緒】寺村鎮座を明治十七年五月十三日合祀【鎮座地】国東市 国見町竹田津 武田都社境内【拝路】国道213号から市街地に入り橋を渡って右折、竹田津川に沿ってゆくと左側に社殿、鳥居社殿前、境内に石祠や小祠が散在。右手...
【関連サイト】
『歴史とぶらり旅』(YouTube動画) 武多都社 : 大分県国東市国見町↓

260 武多都社 : 大分県国東市国見町
武多都社(たけたづしゃ)は大分県国東市国見町にある神社です。竹田津港が近くにある海辺の神社です。由緒によると、周防灘を航海する船はこの神社前を通過する際、帆を一ヶ所三尺下げて進むときは無事に航行できるのですが、もし敬意を表すのを忘れて行き過...
『Googleマップ/YSさんの投稿』「武多都社」に関する詳しい説明が書かれています。↓
(↓Googleマップの仕様で「On The Bit」さん投稿の写真が表示されています。)

「武多都社・武多都神社」に関する Google でのクチコミ(投稿者: Y S)
★★★☆☆ "「神と仏の里宇佐・国東 昭和60年代の六郷満山文化を訪ねて」宮川照子 より 竹田津地区の武多都社は、伝承によると養老2年(718年)紀州熊野権現の御分霊を勧請し、小川原に祀ったのが始まりで、翌年鬼籠の老子立石に遷座し、天徳3年...
Googleマップに写真の投稿があります。(On The Bitさん他)
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