musashi056◆八幡社(楽庭八幡社)
【鎮座地】大分県国東市武蔵町吉広978番地
【旧社格】村社
【御祭神】品陀和気命
【国指定重要無形民俗文化財】吉弘楽 詳細を見る→
◆国東市で吉弘楽 伝統の舞を奉納
◆太鼓踊り「吉弘楽」を日本の祭りに選定
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○楽庭八幡社(旧村社)大字吉広字美婦九七八番地鎮座
◆由緒:楽庭八幡社は南北朝時代に吉弘正賢公が吉弘城主となったとき、居城内の霊地「宮の谷」に鎮座していた大山祇命を祀る山神社に併せて品陀和気命を奉祀し領内の守護神としたのに始まる。のちさらに字美婦に社殿を造営奉遷して本社(八幡宮山神社)と称え、また宮の谷跡に大山祇命を祀って元宮山神社と崇め、歴代領主親ら祭祀を司り、吉弘楽を奏して、領内の繁栄と武運長久うぃ祈った。のち吉弘氏直公その居を屋山城に移し、さらに慶長五年(1600)九月、吉弘嘉兵衛統幸が石垣原に陣歿後は祭事衰微し、奏楽もまた中絶するに至った。しかるに災害相次いで起り、なかんずく農作物の蟲害甚だしく、これ全く神罰の然らしむ所であるというので、庄屋高原氏を始め主たる者相謀り、藩主松平公に吉弘楽の復興を願い出た。これに対し、元禄十三年(1700)藩主より新たに「楽太鼓」を奉納し、郡奉行をして司祭せしめ、また村の中央たる字山口に「境宮」を建て、小山・蔭平・松ケ迫上下に大山祇命を、中日向に品陀和気命を分霊降神の行事を行い、吉弘郷を始め班内の災害防止と五穀の豊穣を祈願した。ところが神威顕現、直ちに災厄が止ったので、爾来毎年旧暦六月十三日に虫除祈願のため藩主より献饌し、郡奉行をして代参せしめ吉弘楽を奏することとなった。先に各部落に於ける降神災厄防止の行事は年次を経るに従って社を建て氏子を成し祭祀を異にするに至る。ついで明治初年各社を本社境内に奉遷するよう令せられたが容易に帰一する所なく、独り虫除祈祷の行事だけが全村民の祭事として相伝えられ今日に及んだ。当村吉弘は、もと吉広といい一郷を成し、政教ともに同じく当社の氏子であったのであるから、村民相謀り和親協力、吉弘公の創建した楽庭八幡社に分霊各社を合祀し、全村民の氏神としれ崇敬、神霊の加護に依り一円融合の実を挙げんことを期し、昭和十三年三月二十九日遷座、三十日に合祀祭を執行した。次いで社殿の改修、神域の整備拡張を図り、社務所の建築を成就した。あたかも起源二千六百年を迎えていたので、天神社前に地を選び御神幸の行事を創始し益々神威を顕揚し衆庶遍く神徳に浴せんことを。なお当社は明治六年村社に列せられた。
◆境内神社
◇貴船社(高龗神)由緒不詳。当村字貴船鎮座のところ明治八年許可の上本社境内へ移転した。石祠
◇山神社(大山祇命)由緒不詳。当村字宮の谷鎮座のところ、明治八年許可の上本社境内へ移転した。
◆鳥居
○鳥居其の一(明神鳥居)額束に「八幡宮山神社」の銘
○鳥居其の二(明神鳥居)額束に「山神社」の銘
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Googleマップに写真の投稿があります。(結城義兼さん他)