八幡大江神社(大江八幡宮)

nakatsu005◆八幡大江神社(大江八幡宮)
【鎮座地】大分県中津市萱津町2048番地
【旧社格】郷社
【御祭神】応神天皇外13柱

【関連サイト】
『歴史とぶらり旅』(YouTube動画)八幡大江神社 : 大分県中津市萱津町↓

461 八幡大江神社 : 大分県中津市萱津町
八幡大江神社(はちまんおおえじんじゃ)は大分県中津市萱津町にある神社です。縁起によると、天平12年(740)、宇佐宮に寄進された10郷の中に大家(おおえ)郷があり、天平勝宝年間(749~757)、それらの10郷に八幡宮が勧請され、大江八幡宮...
【関連サイト】
『明治神社誌料』(国立国会図書館)八幡大江神社→
『産土神名帳』八幡大江神社→
『御朱印のじかん』大江八幡宮の御朱印情報~中津祇園の元宮~(大分県中津市萱津町)↓

大江八幡宮の御朱印情報~中津祇園の元宮~(大分県中津市萱津町)
所在地大分県中津市萱津町2048祭 神応神天皇・仁徳天皇・菟道稚郎子皇子由 緒749~757年、宇佐神宮から分霊を勧請したのが始まりといいます。幕末~明治時代の国学者・渡辺重春が執筆した豊前志には、境内前に大家川が流れ、松や杉などが神々しく
(境内由緒書より)
◆通称:萱津のお宮
◆祭神:應神天皇・仁徳天皇・菟道稚郎子皇子
◆由緒
縁起では、天平一二年(740)、宇佐宮に寄進された一〇郷の中に大家郷があり、天平勝宝年間(749〜757)、それらの一〇郷に八幡宮が勧請され、大江八幡宮もその時に創建されたと伝えられています。
渡辺重治の『豊前誌』に、「当今の大江社地は、往古とは甚だしく革りて狭く成れる由なり。然るは当年中津城も築かず、金谷堤もなかりし以前は、大家川社前を流れ、丸山(今の城地より、片端・殿町・新魚町の辺を懸けて呼びし惣名なりき)社後にありて、松杉など神々しく立ちて、甚美き宮地なりし」とあります。黒田如水(1546〜1604)が中津城を築城する際に神域を削り、細川忠興(1563〜1645)が金谷堤を築き大家川を塞いだため、大家川も細い流となるなど、神域も景観も随分変わりました。
大正二年(1913)高畑の八社宮(田中社他)を合祀。御神殿は大江宮本殿を中心に、祇園社・宮地嶽社・稲荷社なども併せ、境内には御手洗池跡や若宮八幡の石幢、田中八幡社の石鳥居などが残されています。中津祇園会の上祇園は、元々大江八幡宮の祭礼でしたが、明治一三年(1880)、公演地に中津神社が創建されると、踊車は同社へ寄進され、上祇園祭として巡行されるようになりました。

(中津市史刊行会 編『中津市史(1966)』より)
社伝によれば、元暦元年(1184)豊後の緒方三郎惟栄に破壊せられ神宝悉く押収せられたという。
現在の観定寺と安養寺は萱津八幡宮の境内であって、かつて同社の社僧であった。…(略)… 旧境内の御手洗の池は蛭川の一部で現在萱津から栄町に通ずる橋のところにあった。
Googleマップに写真の投稿があります。(たまゆらさん他)

八幡大江神社 · 〒871-0045 大分県中津市萱津町
★★★☆☆ · 神社
タイトルとURLをコピーしました