毛井八幡社(八幡社)

oita0084◆毛井八幡社(八幡社)
【鎮座地】大分市毛井634番地
【旧社格】村社
【御祭神】品陀和気尊(応神天皇)・大鷦鷯尊(仁徳天皇)・菅原神(菅原道真)

(境内由緒書より)
◇毛井八幡社の沿革
宇佐神宮は全国八幡宮の総本社として平安時代には伊勢神宮と並んで朝廷の崇敬が厚く、石清水八幡宮として山城国(京都)に勧請された。また鎌倉に勧請されて鶴ヶ岡八幡宮となり、幕府の守護神とされてからは次第に全国各地に分祀されるようになった。
八幡宮の一つである毛井八幡社が、いつの時代に毛井村の鎮守の神として勧請されたものであるかは詳らかでない。しかし、古文献によると、鎌倉幕府の御家人平林四郎頼宗が豊後国海部郡佐井郷毛井社の地頭として信濃国英多荘より下向し、それ以後は鎌倉鶴ヶ岡系の八幡宮となっている。
……(中略)
明治六年(1873)毛井八幡社(祭神 品陀和気尊)社格「村社」となる。
明治十七年(1884)豊後国大分郡毛井村字志手 無格社若宮八幡社(祭神 大鷦鷯尊)天満社(祭神 菅原神)
仮神殿を毛井村字宮ノ脇の毛井八幡社としていたが、八幡社に合併し鳥居及び手洗鉢は志手より移して八幡社南入口に設置、従って毛井八幡社の祭神は
品陀和気尊(応神天皇)・大鷦鷯尊(仁徳天皇)・菅原神(菅原道真)の三柱の神となる。
……(後略)……

○毛井八幡社と区画整理記念碑
9世紀の頃、毛井地区一帯は国の直轄領でした。大野川下流における官道の渡河点で、渡河の安全を守る交通守護神として毛井社10町を社領としていました。嘉禎2年(1236)毛井地頭職として平林頼宗が下向の時、鶴岡八幡宮を分祀・豊後の国毛井八幡社としました。境内に毛井地区の区画整理記念碑があります。
『松岡校区歴史マップ』より

【関連サイト】
『おおいた神社探訪』毛井八幡社→
【関連サイト】
『天満宮巡拝』毛井八幡社↓

3312毛井八幡社
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『abisokaden』令和元年 松岡 毛井八幡社 秋季大祭 本宮 お発ち↓
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