万屋町の蛭子様(府内の六蛭子)

oita3404◆万屋町の蛭子様(府内の六蛭子)
【鎮座地】大分県大分市大手町1丁目5
【旧社格】不明
【御祭神】不明

『https://scratchzu.xsrv.jp』(PDF)府内城下町散策ルートマップ→
↓「府内の蛭子様」についても詳しく書かれています。
『挟間史談 No.1(2010.4)』下市恵比寿について(二宮壽)→
『挟間史談 No.7(2020.4)』「下市市恵比寿について」(創刊号掲載)に追記(二宮壽)→
国立国会図書館デジタルコレクション
『府内の蛭子様』(冨成栄六):『大分県地方史』No.73(大分県地方史研究会/1974-03)
送信サービスで閲覧可能:https://dl.ndl.go.jp/pid/4436904/1/42

なお、老人の言によれば、蛭子太神宮は七蛭子であったが大友氏の家臣某が大分郡庄内へ去ったとき主家に請うてその一つを庄内へ奉遷したので残りの六蛭子となったものであるという。

『府内の蛭子様』(冨成栄六):『大分県地方史』No.73(大分県地方史研究会/1974-03)
◆『府内の六蛭子』案内板より
 サンサン通り周辺から大手町にかけて、6体の蛭子が祀られていました。
 今から800年前、大友氏初代能直の頃、東国第一の「市」として賑わっていた下総古河(現茨城県)から工座(たくみざ)町(現錦町付近)に勧請したのが始まりと言われています。
 江戸時代になると、工座町の蛭子は檜物町に移され、周辺では市が開かれ、繁栄の神として信仰されます。
 今も。中上市町を除く5体の蛭子があり、商売や町内繁盛の神として多くの人びとから大切に祀られています。
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