oita3408◆檜物町の蛭子様(府内の六蛭子)
【鎮座地】大分県大分市府内町2-1トキハ本店屋上
【旧社格】不明
【御祭神】蛭児命
トキハ本店屋上の「えびす様」4月中旬から一般公開 大友氏ゆかり「府内六蛭子」の一つ↓
トキハ本店の屋上には「トキハ神社」と「檜物町の蛭子様(府内の六蛭子)」の二つの神社があります。
(投稿には両方の写真が掲載されています。)
入り口すぐにあるのは蛭子様ではなく、トキハ百貨店管理のトキハ神社であり、蛭子様は屋上一番奥の所にあり、大分バス管理らしい。
(A Maさんの投稿より)
◇由来
このお社は府内の蛭子(えびす)さまとよばれています
正治元年(およそ八〇〇年前)大友氏の初代能直公が当時東国一領内で栄えていた下総国古河(いまの茨城県)から蛭子神社として勧請したといわれています
幾星霜変り六ヶ所に分神されその一つが桧物町(現府内町)に安置されたものです。
その後空襲、疎開などありましたが人々の蛭子さまを崇敬する心は変らず昭和四十九年五月大分バストキハ共同ビルの完成によって現位置に奉安されました
毎年縁起のよい神さまとして一月十日に大祭が行われています
昭和五十七年一月十日記
サンサン通り周辺から大手町にかけて、6体の蛭子が祀られていました。
今から800年前、大友氏初代能直の頃、東国第一の「市」として賑わっていた下総古河(現茨城県)から工座(たくみざ)町(現錦町付近)に勧請したのが始まりと言われています。
江戸時代になると、工座町の蛭子は檜物町に移され、周辺では市が開かれ、繁栄の神として信仰されます。
今も中上市町を除く5体の蛭子があり、商売や町内繁盛の神として多くの人びとから大切に祀られています。
『仔猿の雑記帳』府内の六蛭子↓
【関連サイト】
『https://scratchzu.xsrv.jp』(PDF)府内城下町散策ルートマップ→
(府内町、大手町に現存する蛭子様の場所を確認できます)
『府内の蛭子様』(冨成栄六):『大分県地方史』No.73(大分県地方史研究会/1974-03)
送信サービスで閲覧可能:https://dl.ndl.go.jp/pid/4436904/1/42
檜物町は字の通り檜物屋が六軒もあり、大分での名物町であった。全国でも檜物町の町名があるのは東京だけである。職として木を使うので、町内和合、商売繁盛の外火の用心を計ることもたいせつであった。それで蛭子様の信仰も篤く、蛭子講も大変盛大に行なっていた、お社は町の中央南向きに奉祀し、かわらぶき板囲いで、ま向かいに冨成本家が位置していた。板格子の中に神石が安置されてあった。前の下に割り合いおおきな石が置いてあり、聞き伝えでは蛭子様の魚釣りの際の腰掛け石だというので、我々の子供の時は子供が腰掛けて遊んだのであった。
『府内の蛭子様』(冨成栄六):『大分県地方史』No.73(大分県地方史研究会/1974-03)
なお、老人の言によれば、蛭子太神宮は七蛭子であったが大友氏の家臣某が大分郡庄内へ去ったとき主家に請うてその一つを庄内へ奉遷したので残りの六蛭子となったものであるという。
『府内の蛭子様』(冨成栄六):『大分県地方史』No.73(大分県地方史研究会/1974-03)
↓「府内の蛭子様」についても詳しく書かれています。
『挟間史談 No.1(2010.4)』下市恵比寿について(二宮壽)→
『挟間史談 No.7(2020.4)』「下市市恵比寿について」(創刊号掲載)に追記(二宮壽)→
【関連サイト】
『OAB大分朝日放送 おおいた情報大事典』府内の町割り→(写真掲載)
『大分県の百貨店・ファッションビル屋上散歩』トキハ本店(大分市府内町)→(写真掲載)