oita3448◆泰照神社(皆春)
【鎮座地】大分市皆春30 江藤酸素(株)敷地内
【御祭神】不明
『桃園歴史マップ』(桃園史談会)マップ(1)→ マップ(2)遺跡の説明→
○泰照神社[たいしょうじんじゃ](皆春)
昔、六部(行脚僧)が殺害されたので、その恨みのために祟りがあり、「六部田で白蛇を見た人は必ず死ぬ」という語り伝えがありました。六部は大字皆春に属する土地で、現在では江藤酸素KKの敷地内となっています。天正14年(1586)島津軍の侵攻により、大友勢は各地で破れ、島津軍は、大野・直入の南郡衆に、大友より離れ島津軍に味方するよう謀略をめぐらし成功しました。大友義統は島津に内報した者を討つため、天正17年(1598)久住の山野城に朽網宗歴らを攻めました。
朽網宗歴らはお供5人と共に人目を避けるために六部姿に身をやつし佐賀関をめざし落ちていましたが、千歳下の六部田まで来たとき大友軍に見破られ、ついに切腹しました。この悲運なできごとが六部の怨念として残り、これまで祟りがありましたが、江藤酸素KKが泰照神社をお祀りするようになってからは、地域の人々に災難は無くなり、平穏な日々が続いていると言われております。
『桃園歴史マップ』(桃園史談会)より
連載「MY WAY」─私の歩んできた道 江藤酸素株式会社代表取締役会長 江藤博
(3回シリーズ:その2)より抜粋
大分工場建設と泰照神社
順調に、なるがままの自然体で成長していった江藤酸素が一つの壁に突き当たったのが、昭和36年のことだった。大分工場の用地を購入し、いざ造成というときに工事が難航、トラブル続きで一向に工事が進捗しない。早々に調べてみると、工事現場の人達は、口々に「宿直で泊まっていると、寝ている枕元に三人の六部姿の幽霊が現れる」、「うなされる」と訴え、「工事はもうしない」と言い出した。私たちは何も知らないでその土地を購入したのだが、怪奇な現象は虚言ではなく、地元では有名“六部田のたたり”だと言われた。昔からこの土地に関係した人は、必ず災難にあっているとのことで、まさに曰く付きの土地だったのである。言い伝えによると、昔、向かいの小高い丘にお城があった頃、家老を尋ねて京都からきた女性二人(六部姿)が、この地に着いたところで強盗にあって殺されてしまった……。困ったものだとつくづく思ったが、壁に突き当たった時にこそ、人間の真価が問われるもの。途中で投げ出すわけには行かず、私は直ちに迷える六部姿の霊を慰めるため、神社を建立し、石の祠を御神体として祀った。御祓いをしていただいた時のことは忘れられない。延々2時間にも及ぶ御祓いで、神主の衣から滝のような汗が流れた。列席した誰もが、この地の霊を感じたのではないだろうか。実際、私も半信半疑だったが、「何とかせねば……」とそれこそ神頼みで行った神社建立であった。とても強い霊であったと、御祓いをしてくれた神主が話してくれた。この神社は泰照神社と命名され、周囲に池を巡らし、後に「泰賛会」をも作ることになる。
その後は難航していた工事も噓のように順調に進み、以後会社の事業も好調に発展、泰照神社は江藤酸素グループの保安・防災・社業発展の守護神になった。今でも毎月御祓いをしており、毎月11月3日にはグループ従業員と家族が集まり盛大に大祭を行い、1月には新春祈願祭も行っている。
(文責:当研究所(大銀経済経営研究所) 聞き取りにより作成)
↓下記マップはおおよその位置情報です。また、会社の敷地内ですのでくれぐれもご配慮ください。