tsukumi091◆村上神社
【鎮座地】大分県津久見市上青江643番地
【旧社格】村社
【御祭神】加具土命外18柱
見出し
(境内由緒書より)
村上神社 由緒
村上神社は、畑(かつては「葛畑」と称した)地区の集落の中心に位置する小高い丘の上に鎮座しています。昔から通称「愛宕様」と呼ばれた当社は近隣集落の人たちの厚い崇敬を受けてきました。参道として築かれた石段を鳥居越しに見上げると、石段の数の多さと急勾配に圧倒されます。また石段は苔むし、所々ゆがんでいる個所もあり、年代を感じさせます。上にあがると社殿や境内の手入れが行きとどき、凜とした空気を漂わせています。
当社の創立については、社伝によるとして、文安五年(1448)四月(『津久見市誌』)とされてきましたが、疑問視する向きもありはっきりとわかっていません。ただ、当地にはかつて愛宕(火伏せの神)の祠があり、のちに地蔵尊をご神体としてこの祠に祀って「愛宕地蔵」と称したといわれています。明治維新の神仏分離(神仏習合をやめ神道と仏教の区別を明確にしようとしたこと)に際し、これに加具土命の神名を附して「愛宕社」と称し、明治六年(1873)村社に列しました。さらに四十一年村内(畑・川内・鬼丸など)各所の神々を合祀(二柱以上の神や霊を一神社に合わせ祀ること)し、社号を「村上神社」と改め、今日に至っています。
また、社伝とは別に、この「愛宕地蔵尊」については、江戸時代に記された『臼杵小鑑』『寺社考』など、その由来に関する史料や「夕顔」や「時雨の杜」など興味深い伝説が、今なお大事に語り継がれています。
境内に立つ宝篋印塔(文安六年卯月八日造立)と呼ばれる石塔は在銘(年号を記したもの)としては市内で最古の例として市指定有形文化財とされています。これは永享七年(1435)の姫嶽合戦で出陣し、討死した伊予国(現愛媛県)の武将、河野通久を供養するため建立されたものといわれています。
祭神:加具土命六柱・大山祇命・菅原道真公五柱・本多別命二柱・宇気母智命・大物主命・保食命・磐長比売命
祭日:春祭四月二十四日・夏祭七月二十四日・秋祭十月二十四日・冬祭二月二十四日
末社:尺間社(祭神 加具土命)
『臼杵史談 第五巻』臼杵史談会 編(歴史図書社1979)
「第拾回舊蹟巡りの記(小笠原生」より
……今回は昭和十六年四月二十七日、晴天、午前八時三十分海添坂本橋に集合
……畑峠を越え、葛畑を経て青江下浦方面を見学、午後津久見驛にて解散す。
◆村上神社(葛畑)
昔は愛宕地蔵と称せしも、後年附近の諸社を合祀して村上神社と称えるに至れり。愛宕地蔵とは勝軍地蔵(武の神)のことならん。毎年旧正月二十四日の祭典には古来臼杵方面より参拝する者多し。境内に文安の五輪塔といえるあり。これは永享七年(1435)姫嶽の戦に討死せし伊豫の河野通久の子、美人夕顔が父の菩提の為竊に之れを建しものと傳ふ。
【関連サイト】
『神社探訪・狛犬見聞録』村上神社→
『天満宮巡拝』村上神社↓
248村上神社(津久見市)
【祭神】加具土命(六柱)・大山祇命・菅原道真公(五柱)・本多別命(二柱)・宇気母智命・火産霊命・大物主命・保食命・磐長比売命【由緒】通称「愛宕様」と呼ばれ、厚い崇拝をうけている。当社は、江戸時代に記された「臼杵小鑑」によると、昔、夕顔という...
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